世の中というものは

 今年も、暮れる。いつになく世の中に、不吉な黒雲が不気味な気配を帯びて拡がりつつあるのを感じる。いつしか誰しもが感じ、こう呟くときがくるのかもしれない。

 嗚呼、世の中というものは、−。

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冬の古都

 冬の古都を旅した。古寺のレトロモダンな庭園を観て、妻は、しばし賛嘆ののち、カメラにおさめた。

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 名刹の近くに私が学生時代、世話になった病院があり、久しぶりに玄関の敷居をまたいだ。 私は神経を病み、そこの病棟で一ヶ月ほどの時間を過ごした。二十数年の歳月をけみしても、建物の様子も玄関脇に立つ百日紅の木も、少しも変わらない。

 その日は、老舗の宿に鞋をぬいだ。宿の彼方此方にある、四季折々に彩りを変える調度品の、セピア色にくすんだ光彩に、明暗を塗り込めた風情は、この世のものとは思えない美しさを放ち、旅人の心を一億光年の彼方へと連れ去ってくれる。

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独り言

  長年一人暮らしをしてきたが、病の床に伏せると普段の数段、心細くなるのが通例だった。ところが今回は違う。
 うつ病の薬が切れて、しばらく薬なしの生活が続き、いっそう病が募るかと思いきや、それに反して薬に毒されていたことに気付かされたり、日々の生活に疲れ、死人と化していた自分が夜の眠りの中でゆらゆらと蘇っていたりする。
 自分の中でいったい何が起きたのか分からない。されど何かが違っている。

 これはどういうことなのか? 

 なぜ今こんな心持ちになるのか?

 これから書いていくことに答はみつかるのか? 

今、私の心の底で鳴り響く曲は、エコーズの Crossroad Againである。

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祖母の御法事

 先日、故郷に帰り、祖母の御法事に行った。親戚ばかりの内輪の集まりで、せいぜい十人もいたろうか。私は、ほぼ七、八年振りに生前祖母の部屋であった仏前に手を合わせた。私は初孫であったせいもあり、高校を出るまで、親戚の家のいつもどこかに祖母の顔があった。久し振りだね、お祖母ちゃん。心の中で、そう呟いたとき、がたん、と部屋の奥で何かが揺れた。私は瞬時に後ろを振り返った。ああ、来たかんも。祖母が答えたのであるらしい。私はそのとき、御法事に来てよかった、と思った。

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仮面を脱ぐ場所

 今の時代、世の中は閉塞感に満ちている。精神的な濡れ落ち葉現象をケアしようと、社会の余計者にされた年寄りだけが、福祉やボランティアの名のもとに取り沙汰されるが、若者や中高年は有用なる人物たることを社会から求められ過ぎるあまり、その枠に嵌らなければ人並みの生活を送れない仕組みになっている。少子高齢化が進むにつれ、ますますその傾向は強くなるだろう。その不満のハケグチが、ネットあたりであろうか。中高年層の仕事過多による自殺、ストレスによる精神疾患もますます増えている。勝ち組と負け組の格差が段違いに大きいのも気になる。社会の問題が大きく個人の問題と関わっている故に、問題はますます複雑だ。
  私たちは、そういう時代に生きている。とりあえず男女共々、太宰治のいう「鉄のサラリーマン」(「HUMAN LOST」)になるか、「コンチワァ」と軽薄なる声を出すか(斜陽」)、「斜陽」のヒロインかず子のように恋と革命のために生きるか。
 誰もが、隣にいる人の本音が見えない暗黒の闇にいるようである。この世の祭とは、そういう仮面を脱いで真実の自分を神々の前にさらけ出す役割を担っていた。演劇の起源も、祭と一体化して行う神事であった。そこに登場する人物の悲喜劇と自分を重ね合わせることで、人々はカタルシスを覚え、心の垢を洗い流した。神事や祭事が形骸化した今、現代の芸術は今、そういう役割を担えているだろうか。私の文学も、まずその問いが出発点となる。

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著者:太宰 治
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一人の友

 学生時代、私は親元を離れ一人で下宿した。都会に出て一人暮らしを始めても、私は神経症で入院したり、失恋のたびに親元に帰省する、情けない学生であった。神経症から快復し、ふつうの学生生活に戻っても、私は少しも授業に出ない不良(あるいはまっとうな)学生で、まともな友人もいなかった。しかし、Y君だけは、私が長い間帰省したり旅に出かけたりして下宿を空けて、久し振りに戻っていたりすると、満面に嬉しそうな表情をして私の家の戸をくぐった。
 Y君は、同郷の同じ学部の学生であったが、ただ一つ共通点があり、それは彼も私と同じ文学を志す者であったということだ。共に、その頃流行の哲学や文学には無関心で、ともかく互いの好きな文学者について語り、作家に憧れるだけの文学青年であった。彼はいつもふらりと私の下宿にやってきては、レンタルの映画を見るなどして、Y君とのつきあいは続いた。
 そのうち、Y君はモラトリアムな私などより早々に学校を卒業し、作家修業と称して東京に行ってしまった。彼は何事も思ったことをすんなり実行できる人間であったのだ。
 やがて、私にも人生の選択を迫られるときが来て、私はとりあえず故郷の地に戻り、組織の中に入ることを選んだ。それからも彼とは機会があれば会ったし、温泉に出かけたりもした。彼は相変わらず東京で、バイト生活の傍ら小説を書いていた。
 さらに数年たった。私はハードな部署で、私生活もろくにないような生活を送っていた。突然の知らせだった。Y君が死んだという。なぜ死んだかも知らされなかった。私は仕事のせいで彼の葬儀にもいけず、線香の一本もあげてやれなかった。
 彼が下宿に来たときの笑顔を思い出すと、私にはそれが悔やまれてならない。Y君のためにも、私は書いていきたい。それが、私が彼にしてあげられる最大の供養だと思うからだ。

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